マイクロフォンの集音範囲 ― オーディオパフォーマンスに影響を与える要因
はじめに
音声録音デバイスの性能は音響環境の影響を受けるため、その最大集音範囲を明確に指定することは単純なことではありません。技術仕様は基準を提供しますが、実際の録音範囲は設置ごとに異なる環境的および音響的な要因の複雑な相互作用によって左右されます。
このホワイトペーパーでは、マイクロフォンが音を確実に拾える距離を決定する主な要因について、スピーチの明瞭度を主な基準として考察しています。これらの要因には、暗騒音レベル、その暗騒音のスペクトル特性、残響時間、マイクロフォンの指向性、およびマイクロフォンと録音デバイスの両方のセルフノイズが含まれます。
実用的な基準を確立するために、リファレンス音源として人の声を使用しています。測定値と知覚騒音レベルの相関関係をより適切に得るため、ノイズの測定にはA特性フィルターを使用しています。録音されたスピーチの信号対ノイズ比 (SNR) は、声の大きさとA特性フィルターをかけたノイズレベルの差として、デシベル (dB) 単位で算出されます (SNRについては付録を参照)。実証テストは、ノイズが比較的平坦な周波数特性を持ち、スピーチの周波数帯域内であれば、スピーチの明瞭度が許容されるのはSNR値が約0 dB (ノイズと音声が同じ大きさ) 以上であることを示しています。
これらの変動要因を理解することで、設置担当者やシステム設計者は、実際のシナリオにおいてより多くの情報をもとに音声デバイスの選択と配置の決定を行うことができます。
物理的な録音範囲
通常、マイクロフォンの録音機能は暗騒音の影響を受けます。物理的な録音範囲を制限する主な要因には以下のようなものがあります。
音圧レベル: 音によって伝わる距離は異なります。たとえば、銃声の音圧レベルは極めて高く、最大1キロメートル先でも聞こえることがあります。一方、人の声はより小さく、距離とともにより早く消えていきます。現実的な録音範囲を推定する際は、まず録音する音のタイプを定義する必要があります。そうすることで、音源レベルによって録音可能な範囲の上限を設定できます。
暗騒音: 環境音が大きいほど、マイクロフォンが録音対象の音を分離して拾い出すのが難しくなります。暗騒音は環境によって異なり、対象音と直接干渉します。これには、風音、交通音、機械音、群衆の声などの雑音が含まれます。マイクロフォンがある場所のノイズフロアが高いほど、有効集音範囲は狭くなります。これが同じマイクロフォンでも静かなコリドールと混雑した交差点では性能が大きく異なる理由です。
ノイズのスペクトル特性: ノイズの大きさと同様に、ノイズの周波数帯も重要です。人の話し声は、主に約300 Hz~3,400 Hzの中周波数帯域です。暗騒音が非常に低い周波数帯や非常に高い周波数帯に集中している場合、スピーチの明瞭度におそらく影響はありません。ところが、ノイズと対象音の周波数帯域が重なると、ノイズレベルがそれほど高くなくても、スピーチとノイズを区別することが難しくなります。
マイクロフォンがある場所の残響時間: 残響とは、元の音源からの音が停止した後も、壁、天井、床、その他の表面に反射して音が引き続き聞こえる現象です。残響時間が長いと、全体の音量や信号対ノイズ比 (SNR) が許容範囲内であると思われる状況でも、スピーチの明瞭度が低下することがあります。空の広いホールやタイル張りの部屋などの残響が強い空間では、スピーチが室内で無限に反射してマイクロフォンに到達するため、音がこもって聞こえます。そのため、聞き手も録音システムも、一つひとつの言葉をはっきりと区別することが難しくなります。
マイクロフォン設定の指向性: マイクロフォンによって、各方向から届く音に対する感度は異なります。全方向性マイクロフォンはあらゆる方向からの音を均等に拾いますが、同時にあらゆる方向からの暗騒音や残響も拾ってしまいます。ビームフォーミング用に設定された複数のマイクロフォンなどの指向性設定は、特定の方向に感度を合わせることで、他の角度からのノイズや残響の影響を効果的に抑えることができます。これにより、騒がしい環境や残響の多い環境で、使用可能な集音範囲を大幅に広げることができます。ただし、これはマイクロフォンアレイが向いている方向にのみに限られます。
マイクロフォンおよび録音デバイスのセルフノイズ: すべてのマイクロフォンおよび音声録音デバイスは、セルフノイズと呼ばれる微量の内部電気ノイズを発生します。これにより、システムが拾える範囲の絶対的な下限が設定されます。どれほど静かな環境でも、セルフノイズフロアを下回る音はどうしてもクリーンに録音することはできません。マイクロフォンを比較する際、セルフノイズの仕様値が低いほど、一般的にそのマイクロフォンはより小さな音を拾うことができ、ノイズレベルと残響時間が十分に低い場合は集音範囲が広くなる可能性があります。
分析を簡略化するために、暗騒音、反射音、残響のない理想的なシナリオから開始して、人の声をリファレンス音源として使用することができます。このような条件では、許容可能な集音範囲の閾値として採用すべき信号対ノイズ比 (SNR) を検討することが重要です。
実証テストによって明確な答えが得られます。システムノイズにA特性フィルターを適用し、ノイズの平均二乗平均平方根 (RMS) レベルとスピーチの平均RMSレベルを比較した場合、スピーチの明瞭度は、SNRが0 dBを下回ると低下し始めます。したがって、人の声の録音では0 dBのSNRを限界基準として採用します。これは、ノイズがホワイトノイズと同様の比較的平坦な周波数特性を持ち、スピーチの周波数範囲内である場合に成り立ちます。マイクロフォンのセルフノイズは通常これに当てはまります。
たとえば、1 kHzの音が94 dBsplで再生された場合、デジタルマイクロフォンの感度は-36 dBFSrms (dBFSrmsについては付録を参照) となります (データシートによると、デジタル化されたフルスケールの正弦波は0 dBFSrmsと定義されています) (dBsplについては付録を参照)。これは、デジタルMEMSマイクロフォンを内蔵した多くのAxis製品でマイクロフォンのゲインが0 dBに設定されている場合に当てはまります。このマイクロフォンを、暗騒音レベルが10 dBspl(A) (dBspl(A)については付録を参照) を下回る非常に静かな環境に設置すると、内部のマイクロフォンのノイズが顕著になります。この例では、マイクロフォンのデータシートにデジタル出力-105 dBFSrms(A) と記載されています。マイクロフォンのSNRは、基準レベルからノイズフロアを差し引くと、−36 − (−105) = 69 dB
となります。
この電気的ノイズフロアを、等価音響ノイズレベルに変換すると、94 − 69 = 25 dBspl(A)
となります。
ここで、SNRが0 dBの条件で人の声を録音できる最大距離を計算します。ITU規格したがうと、人の声の公称平均スピーチレベル (ASL) は、1 mの距離で約57 dBsplです。反射物がない自由空間では、音圧レベルは距離の2乗の反比例で減少します
。
基準距離が1 mの場合、このマイクロフォンでSNRが0 dBに達するには、スピーチレベルが1 mの基準レベルから32 dBを差し引いた25 dBspl(A) まで下がる必要があります。この式を書き換えると、
となります。
つまり、暗騒音、風音、残響のない自由空間において、このマイクロフォンは理論上では約40 m離れた場所から明瞭なスピーチを録音できるということになります。これが理論上の最大集音範囲です。
しかし、環境的な要因は、内部のマイクロフォンのノイズフロアよりノイズレベルに大きな影響を与えます。業務時間外の静かなオフィスでは、換気システムが稼働したままの状態でも、暗騒音レベルは約28~32 dBsplです。これだけでも、有効集音範囲がおよそ50%縮小し、最大距離は約20 mまで短縮します。都市部の屋外録音では、以下のようなさまざまなノイズがあります。風音、交通音、人の活動音などのノイズ。全指向性マイクロフォンを使用する場合、それぞれのノイズレベルとノイズスペクトルに対応する集音範囲があります。ここでは、交通音が大きい場合、集音範囲は最大2~4 mとなります。
実用上の考慮点として、0 dBSNRの閾値付近で録音された人の声のレベルは非常に低く、再生時に最小可聴値を下回ってしまうため、聞き取れるようにするにはかなりのデジタルゲインが必要となることが挙げられます。以下の録音例では、遠くの声のレベルを補正するため、音声ファイルを+40 dB増幅しています。
さまざまな環境下での録音
このセクションでは、録音場所の詳細を、ビデオのスクリーンショットやさまざまな距離で収録された音声サンプルを含めて説明しています。
例1: 高速道路からの交通音のある屋外。暗騒音レベルは62~68 dBspl[A]の範囲で変化し、ある程度の風音もあります。


例2: 暗騒音レベルが32 dBspl[A]の静かなコリドール。ここでは、コリドールが長い音響導波管のような役割を果たしています。音はコリドールを伝い、反射面に当たって跳ね返りながら進むため、マイクロフォンに到達する音の大きさは、自由空間の同じ距離にマイクロフォンがある場合より大きくなります。

例3: 暗騒音レベル42 dBspl[A]の広いロビー。ここでは、壁の拡散パネルの後ろに吸音材が設置されており、初期反射音のほとんどが消えるようになっています。音は遠くから床と反射天井の間の音響チャネルを伝わります。

さまざまな環境下での録音による測定結果
この分析では、声の集音に焦点を当てています。銃声のような大きな音は、より遠い距離から聞こえます。音声録音から各文を分析・測定し、録音された各文について信号対ノイズ比 (SNR) を推定しました。
このSNR値はスピーチ + ノイズ - 暗騒音
として推定されました。より正確な方法としては、スピーチレベル-ノイズレベル
を算出することですが、ノイズを含まずにスピーチレベルを測定することはできません。すなわち、スピーチレベルがノイズレベルに近い場合、SNRの精度は低下します。
| 場所と暗騒音: | 交通音のある屋外、61~68 dBspl[A] | 静かなコリドール、32 dBspl[A] | 広いロビー、42 dBspl[A] | 自由空間、反射なし、無音 |
| 距離 (m) | SNR [dB] (推定値) | SNR [dB] (推定値) | SNR ([dB]推定値) | 理論上のSNR = スピーチレベルのマイクロフォンノイズ [dB] |
| 1 | 2.4 | 29.4 | 21.5 | 32.0 |
| 2 | 1.0 | 25.6 | 17.2 | 26.0 |
| 4 | 0.5 | 23.4 | 14.2 | 20.0 |
| 8 | 0.4 | 18.9 | 11.2 | 13.9 |
| 16 | 不可聴 | 17.5 | 6.3 | 7.9 |
| 24 | 不可聴 | 14.8 | 5.4 | 4.4 |
| 32 | 不可聴 | コリドールが短すぎる | 4.6 | 1.9 |
| 40倍 | 不可聴 | コリドールが短すぎる | 4.7 | 0.0 |
理論上、距離が2倍になると、スピーチレベルは-6 dB低下するはずです。また、SNRもそれにしたがって低下するはずです。この表から、コリドールやロビーではSNRが予想以上に高いことがわかります。その理由は、室内の反射によって音圧レベルが上昇したためです。特にコリドールでは、壁、床、天井が音の導波管としての役割を果たします。これにより、コリドールで24 mの距離からテストした場合、ラウドネスとSNRは、自由空間における理論上のSNRよりも約10 dB向上します。
暗騒音が1つの全方向性マイクロフォンの等価音響セルフノイズを超えると、集音範囲はそのマイクロフォンではなく、完全に周囲の暗騒音によって決まります。
付録
デシベル音圧レベル (dBspl): 20 µPaを基準としたデシベル (dB) 単位の音圧レベル。ノイズや声のレベルの測定には、時間積分RMS値がよく使用されます。これは、パワーレベルと呼ばれることもあります。

最も一般的な積分時間は、時間枠が125 msの「高速RMS」と、時間枠が1秒の「低速RMS」の2つです。ノイズフロアの分析では、多くの場合、レベルが長時間にわたって平均化されます。
A特性フィルターで補正された音圧レベル (dBspl[A]): dB(A) と表記されることもあります。これは、dBsplレベルのA特性補正値です。A特性補正とは、マイクロフォンの信号にフィルターを適用して、人間の聴覚と測定された音圧レベルとの整合性を高める手法です。これは、人間の耳は、500 Hz未満の低周波数および10 kHzを超える高周波数の音を聞き取りにくくなるためです。

A特性フィルター。 デシベルフルスケールピーク (dBFSpeak/dBFSp) は、デジタル表現できる最大値 (フルスケール) を基準とするデジタル音声の振幅を指します。クリッピングが発生しない最大デジタル振幅を持つ正弦波のピーク値は0 dBFSpです。

0 dBFSpeakの振幅を持つ信号の例。 dBFSrmsは、デジタル信号のデジタル音声パワーレベルを指します。0 dBFSpeakのフルスケールの正弦波は、単位の定義方法によってRMSレベルが異なる場合があります。マイクロフォンのデータシートでは、フルスケールの正弦波は0 dBFSrmsと定義されています。同じ理由から、このホワイトペーパーでもこの定義を採用しています。一般的に、フルスケールの正弦波を-3 dBFSrmsと定義するもう一つの定義のほうが、数学的にはより正確であり、アナログドメインにおけるRMSレベルやピークレベルの定義の整合性もより高くなります。こちらの定義では、フルスケールの矩形波は0 dBFSrmsとなります。
マイクロフォンの感度は、音響入力が1 kHzの正弦波で、音圧レベルが1 Pa、0 dB a、または94 dBspl (同じ音圧レベルを表す3つの表記法) の場合のマイクロフォンの出力レベルです。
信号対ノイズ比 (SNR): 音声レベルがdBで表される場合、信号レベルとノイズレベルの差として算出されます。
マイクロフォンのSNRは、94 dBsplの1 kHzのテスト音と、完全な無音状態におけるマイクロフォンのセルフノイズとの出力レベルの差として算出されます。デジタルMEMSマイクロフォンの通常のSNRは69dBspl[A]です。
このホワイトペーパーにおけるスピーチSNRとは、人の話し声と、話し声がない場合のA特性補正ノイズレベルの比較です。SNRはデシベル単位で測定されます。スピーチの理論上の集音範囲を算出する際、0 dBのスピーチSNRを最低許容SNRの定義として使用しています。この文脈において、ノイズは環境雑音や電気的ノイズに加え、マイクロフォンのセルフノイズからも生じ得ます。
マイクロフォンのノイズレベル マイクロフォンのデジタルノイズレベルは、dBFSrms で測定されます。一般的に、最高品質のデジタルマイクロフォンの理論上のノイズフロアは-105 dBFSrms[A]です。
マイクロフォンの等価音響ノイズは、94 dBsplのテストレベルからマイクロフォンのSNRを差し引いた値として計算できます。この典型的な例が、94 – 69 = 25 dBspl[A]です。